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森鷗外先生の銅像を設置しました
NCGMセンター病院には創立以来150年という長い歴史がありますが、その150周年を記念し、歴史的に著名で、センターのGoing Globalのミッションにふさわしい方として、真っ先にあがったのが明治大正期の大文豪である森鷗外先生でした。
もともとセンター病院には、森鷗外先生が軍医学校長のときご使用になった机や顕微鏡が保存してあり、展示室でどなたでもご覧になれるようになっています。
森鷗外先生は、1862年に津和野藩(現在の島根県・津和野町)の御典医を務める森家の長男として出生、幼少の頃より大変頭脳明晰で秀才の誉れ高く、1881年7月に19歳で東京大学医学部を卒業後、同年12月から陸軍軍医副として、センター病院の前身である東京陸軍病院に約半年間勤務されました。この歴史的事実により森鷗外先生は、まちがいなくわれわれの偉大な大先輩のお一人であることがわかりました。
森鷗外先生は、1884年には衛生学の調査・研究のためドイツに留学され、1888年に帰国されています。その後、陸軍軍医学校教官、同校長などの要職を経て、1907年軍医最高位である陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に就任されています。衛生学者として数々の業績を残された一方で、「舞姫」「雁(がん)」「高瀬舟」「山椒大夫」などの小説を次々と発表し、明治大正を代表する大文豪として活躍されました。
森鷗外先生のドイツ留学中には、第4回万国赤十字総会に日本代表団員として出席され、そこで堪能なドイツ語で答弁されています。また、ナウマン象とフォッサ・マグナの発見で有名な地質学者ナウマンと、日本の近代化についてドイツの新聞紙上で論争したことも有名です。若き日より自ら率先して留学し、見知らぬ土地で活躍されたそのお姿はNCGMの基本理念に脈々と受け継がれています。
ここに創立150周年を記念して、森鷗外先生に「特別名誉総長」の称号を贈呈し、その功績を永く後世に伝えるためこの銅像を建立しました。現在、この銅像はセンター病院正面玄関に設置され、ご来院の際にどなたでもゆっくりとご鑑賞いただけます。